長崎新聞(2010年10月17日 日曜日)”ルポ長崎2010”(報道部・北川亮)
『大村入管収容の外国人たち』
長崎空港の対岸にそびえる巨大なガラス張りの建物は、一見明るく開放的にも見えるが、どこか他者を寄せ付けない雰囲気も漂う。大村市にある法務省大村入国管理センター。不法滞在や不法入国等で強制退去処分となった外国人を一般的に収容する施設だ。一般社会から隔絶された「異国」を取材した。
「夜は眠れる?」睡眠薬は使ってるの?」「体に悪いからやめた。どうにか眠れます。」9月下旬。センター内の面会室。収容者の支援活動を長年続けている長崎インターナショナル教会の柚之原寛史牧師(42)は、アクリル板越しに黒人男性と向き合っていた。片言の日本語だから、会話は自然とゆっくりになる。男性はカメルーン国籍のメンヤ(27)=仮名。2007年に来日し福岡県内で暮らしていたが、在留期間が過ぎても不法に滞在。入管難民法違反の罪で執行猶予付きの有罪判決を受け、強制退去処分と立った。今年1月、同センターに収容され、強制送還を待つ。
『犯罪者でなく難民』
彼は自らを、「ただの犯罪者ではなく、難民だ」と主張している。祖国では反政府組織の一員として、デモ活動などに積極的に関与。治安部隊に拘束され、約40日間にわたって拷問を受けたこともあるという。命の危険を感じて逃げ出した先が、兄がいた日本だった。
『認定には高いハードル』
難民として認められると永住権を取得できるが、申請は昨年末却下された。慌てて再申請した。「難民鎖国」と揶揄されるように日本は欧米諸国に比べ、難民認定率が極端に低い。加えて、入国後にすぐに申請しなかったことが、当局に「送還逃れ」と判断されたのかもしれない。「日本で難民申請できることは後から知った。国に強制送還されれば、私はきっと迫害されるだろう。」メンヤはおびえたような表情でうつむいた。国も、人種も異なる外国人たちと同じ居室で暮らす収容生活も9か月。周りには、収容が長引いて心身に不調をきたす者もいる。難民と認められ自由を手にできるのか、それとも祖国へと送り返されるのかー。異国の「塀」の中で、鬱屈した夜を重ねている。

柚之原牧師は週1回、大村入国管理センターに足を運び、収容者たちと面会している。彼らの悩みや不安に耳を傾け、祈りの言葉をささげる。時には本や食料品などを、差し入れることもある。支援を始めて5年。かかわった外国人は100人を下らない。面会の制限時間は30分。記者が同行した日は、午前中だけで5人の収容者と顔を合わせた。祖国での迫害におびえるカメルーン人、日本に妻を残したまま強制送還されることに不安を募らせるペルー人。「日本が安全だから」と帰国を渋るパキスタン人・・・。センターに収容されている外国人たちが置かれた状況や事情は十人十色だし、彼らの言葉の真偽も私には判断できない。でもだからこそ、「不法外国人」とひとくくりにしてしまうのは、はばかられる気がする。面会中に見せる彼らのうつろなまなざし、生気を欠いた表情について聞くと、柚之原牧師はこう答えた。「収容生活のストレスもあるでしょうけど、強制送還されることで自分の将来はどうなってしまうのかという不安も大きいはずです。」
『心身に不調も』
同センターには現在、中国やペルー、パキスタン国籍などの外国人男性約20人が収容されている。今年は9月までに109人を受け入れた。不法入国・上陸やオーバーステイ、在留資格はあるが罪を犯した―など収容理由は様々。ほとんどの外国人が1ヶ月程度で強制退去させられるが、収容期間が1年以上に及ぶこともある。帰国すれば政治的に迫害されるとして難民申請をしたり、日本に配偶者や子供がいるため在留特別許可(法務大臣裁量の恩恵的措置)を申告している場合、入管側も無理に送還することは避けるからだ。「しかし」といって柚之原牧師は続けた。「難民認定を得るには、粘り強く何度も申請して2年はかかるといわれる。閉ざされた空間で、収容が長期間になれば収容者たちは心身に不調をきたす。不必要な収容は避けるべきだ。」そもそも入管施設は刑務所と違って、刑罰や更生のための施設ではない。不法行為をした外国人は、判決内容に応じて刑務所で服役したりした後、入管施設に送られる。だが、強制送還までの期間や難民認定までの手続きの間、身柄を拘束するのは「二重収容」「刑期のない外国人刑務所」とかねて人権団体などから非難されている。
『厳しい仮放免』
収容者の健康上の理由や出国準備などのため、一時的に収容を停止する仮放免制度があるが、要件を満たすのは簡単ではない。身元保証人と保証金(最低300万円)を用意しなければならず、1か月ごとに延長手続きも必要。仮放免中は就労もできないし、再収容されることもある。「仮放免でセンターを出ても、『完全な自由』は得られないということですよ」。長崎市の宗教施設に住み込みながら、社会奉仕活動をしているベトナム出身のフェン(41)=仮名=はこう語る。1年9か月に及ぶ同センターでの収容生活を経て、今年8月に仮放免された。
1989年。ベトナム戦争後の社会主義政権による差別に耐えかね、フィリピン経由で来日し、難民認定された。東京で板金工などとして働いたが、日本社会の中で次第に孤立感を深め、違法薬物に手を出した。逮捕されて2年余り服役した後、同センターに収容された。カトリック信徒であるフェンは、県内のキリスト教関係者の支援を得て、幸いにも仮放免にこぎつけた。だが、就労の喜びもなく、遠出するのは福岡入管に仮放免の延長申請をする時ぐらい。ふとした瞬間、自分の足に「鎖」が縛り付けられているような感覚にもとらわれる。社会に戻ることができたとしても、外国人を待ち受ける別の種類の「不自由」。「日本の外国人政策は、ある部分では社会主義国より厳しいと思うこともある。日本で『居場所』を見つけることは本当に難しい」とフェンは言った。
『最後の居場所』
同センターは多くの収容者にとって日本社会での「最後の居場所」だ。しかし、近代的なビルの中で大勢の外国人が悶々とした日々を過していることを、多くの日本人は知らない。先日、センターの許可を得て施設内を見学したいたるところで監視カメラが目を光らせ、鉄格子付きの窓からはくすんだ灰色の空がわずかにのぞくだけだった。


 長崎新聞(2012年9月2日 日曜日)”ながさきインサイド”(報道部・北川亮)
『牧師という生き方』 『母亡くした悲しみ 信仰の力に変えて』 『入管収容の外国人支援』
かつて、神を呪った男が「神の使い」になった。きっかけは会社員時代に訪れた突然の母の死。人生最大の悲しみがもたらしたのは「信仰」という新しい道だった。そして今、入管施設に収容されている外国人の支援がライフワークに。大村市の長崎インターナショナル教会牧師、柚之原寛史(44)。人は彼を「異色の牧師」と呼ぶ。
『かつては神を憎み』
法務省大村入国管理センター(大村市)の面会室。アクリル板の仕切りの向こうで、ペルー人の青年がうなだれ、うつろな表情でつぶやいた。「日本には妻も子供もいる。離れ離れになるのは嫌だ。国(ペルー)には帰りたくない。当時、青年は不法滞在で警察に逮捕され、強制送還を待つ間、センターに収容されていた。「必ずここから出られる日が来るから、気を落とさないで。苦しみの後には喜び、希望が待っています」。そう言って柚之原は手を合わせ、祈りをささげた。センターに収容されている外国人たちとの面会を初めて7年。なぜ見ず知らずの外国人をそこまで支援するのかー。「神の意志だから」。さらりと、さも当然のように言ってのける。神に忠実に生きる柚之原はしかし、その神を心底憎んだ時期があった。牧師になるずっと前のことである。千葉県で生まれた。海上自衛官だった父と、母、姉の4人家族。父の仕事の都合で転校を繰り返したからか内向的な少年だった。いじめにも遭った。静岡の大学に入ってボクシングにのめりこんだのは、コンプレックスの裏返しだった。
『人生変えた出来事』
大学卒業後、東京のインテリア照明会社に入社。大手デパートやテーマパークの特注照明を手掛ける会社で、1社契約にこぎつければ数千万円。いじめられっこだった自分が、優秀な営業マンとして大きな金を動かし、肩で風を切っている。「これが本当の自分」−そう思っていた。人生を一変させる出来事が起こったのは1994年、25歳の時だった。母が突然、ぜんそくの発作で意識不明となり、植物状態に陥ったのだ。父が自衛隊を定年退職した後、両親は最後の任地だった大村市で暮らしていた。柚之原は後ろ髪をひかれる思いで退職。父と二人、大村で介護に日々が始まった。父も自身も神道だったが、母は敬虔なクリスチャンだった。父と交代で病室に泊り込んでは、母が好きだった讃美歌のテープを流し、慣れない聖書を読み聞かせた。1度だけ本気で「神」に祈ったことがある。「母はあなたを真剣に信じた。元気に戻してくれとは言わない。せめて会話ができるようにしてほしい。」でも母の病状は回復するどころか、日増しに悪化。柚之原は「何が全知全能か!」と神を呪った。9か月の入院生活の末、母は53歳で逝った。臨終の直前、不思議なことが起きた。意識もなく、入院中ピクリとも動かなった母が突然、うめき声を上げ、集まった家族の一人一人の顔を確認するように、ゆっくりと寝返りを打った。柚之原はこの時、確かに「神」の存在を感じたという。人に命を与え、そして取ってゆく。とてつもなく大きな存在を―。母の葬儀の日、牧師が語った言葉を覚えている。「今日はお別れの日ではない。天国で再び会える約束の日である」。母の死から1年後、母が通った教会で洗礼を受けた。大村で会社員として働きながらも「牧師になりたい」という思いは漫然とあった。32歳の時、東京の通信制の神学校に入学。3年で卒業し、大村市内にプロテスタント教会を開いた。昔から人前で話すのは苦手な性分。人々に説教する牧師としての素養があるかと問われれば、今も自信はない。
『7年間で2000人以上、悩み聞き祈る』 『面会がライフワークに』
新米の牧師として宣教活動に走り回っていたころ、、東京の牧師から1本の電話があった、大村の入国管理センターに収容されている外国人の面会支援の依頼だった。「入管?」。初めて足を踏み入れた施設には、国籍も人種も異なる人たちが、大勢収容されていた。出稼ぎ目的で入国しずるずると不法滞在を続けた人、迫害を恐れて日本にやってきた少数民族の難民ー。おかれた状況も深刻さの度合いもさまざまだった。週に1回センターに足を運び、外国人たちの不安や悩みに耳を傾け、祈りをささげる。本やお菓子、衣料品を差し入れることもある。支援を始めて7年。かかわった外国人は延べ2千人以上、牧師としてのライフワークになった。「聖書に『汝の隣人を愛せよ』という言葉がある。行き場を失い、苦しんでいる人が目の前にいるなら、一人の人間として助けたいと思う。自分の行動原理はすべて、聖書の中にあると思ている」。
『懸命に生きている』
忘れられない出来事がある。数年前、見知らぬ男性から面会を求められた。ホテルに滞在中、備え付けの聖書を読んでいたら居ても立ってもいられなくなり、知人を通じ柚之原に連絡してきたのだという。男性はすがるように柚之原に尋ねた。「聖書に書いてある『罪人』とは俺のことか?」神は「義人(善人)ではなく、「罪人」を救済するためにイエス・キリストを人の世に遣わした―そんな聖書の1節が後悔と罪悪感にさいなまれていた男性の琴線に触れたのだった。男性は重ねて聞いた。「たくさんの人を傷つけ、あやめたこともある。こんな俺でも許されるのか」。柚之原は答えた。「あなたは罪を深く悔いている。神は既に許しています」。男性は目に涙を浮かべ、何度もうなずいた。程度の差こそあれ、人は生きている限り、「罪」を繰り返えす。「だから信仰がある」と柚之原は言う。「私も人を傷つけて、しばしば落ち込むことがある。そのたびに神に許しを乞い、『罪』から解放されたいと願う。弱い人間です。でも誰もが、そんなふうに懸命に生きているのではないでしょうか」。柚之原の言葉は自らに言い聞かせているようにも、ここにはいない何者かに語りかけているようにも聞こえた。=敬称略=


クリスチャン新聞(2015年1月25日 日曜日)
『長崎の入管施設で牧師・司祭ら協力合同クリスマス礼拝』
『収容外国人と”御名”で集う教会』
『過酷な労働から不法滞在に追い込まれ・・・』
全国にある入国管理局関連施設で唯一、キリスト教の礼拝が行われている施設がある。この施設には難民申請者やオーバーステイ、薬物などで罪を犯した外国人が収容されている。彼らの悩みを聞き、福音を伝えるのが私たちの使命である。
2000年から面会活動を始め、08年に1人のイラン人がイスラム教から改宗し、主イエス・キリストを信じた。それから施設内でどうにか礼拝ができないものかと考え、礼拝許可の申請をした。入国管理局の施設は法務省の管轄であり、簡単には許可が出ないと思っていたが、何と09年2月に許可が下りたのだ。以後、毎月礼拝を行なっている。現在、11か国から約25人が礼拝に参加しているが、イスラム教やヒンズー教の人たちが多い。今年の夏、6人が洗礼を受けた。ネパール人2人、イラン人1人、ブラジル人1人、中国人1人。ベトナム人1人である。そのうちの一人であるネパール人のグルン(仮名)さんは留学生として来日した。日本語学校に通いながら都内の有名大学を受験し、みごと合格した。ところがその矢先、とんでもない事件が起きた。入学金や生活費など100万円が盗まれたのだ。その金は母国の両親が息子の将来のために蓄えた財産のすべてであった。彼は帰国することもできず、アルバイトを転々としたが、ついに5年のオーバーステイで捕まり、入国管理センターに収容された。ベトナムのソー(仮名)さんは友人と共に実習生として来日した。兵庫県で働き始めたが、驚くほどの低賃金で働かされ、しかも過酷な労働を強いられた。その苦しみに耐えられず、逃げ出してしまい、入国管理センターに送られてきた。ブラジル人のモリフジ(仮名)さんは15歳の時に家族と一緒に来日したが、すぐに一家が離散。学校に行くこともできなくなり、岐阜や静岡の工場などで働きながらどうにか生計を立てていたが、窃盗などで捕まり、少年刑務所を経て入国管理センターに移送された。収容された外国人は、それぞれが人生最大のピンチの中にあった。しかし、そこで主イエス・キリストと出会ったのだ。改宗は時に命を奪われるほどの危険が伴うが、それを覚悟で創造主なる神を信じ、永遠のいのちを得たのである。
さまざまな環境に置かれている外国人と向き合い、10年目になるが、この働きを通じて多くの貴重な体験をさせていただいた。その一つが教派の壁を越えた働きである。現在、カトリック長崎大司教区やカトリック福岡司教区の司祭や信徒、また日本基督教団の牧師らと共に面会活動を続けている。礼拝は、通常はプロテスタントの礼拝スタイルで行っているが、復活祭やクリスマスの時には司祭らにも参加いただき、カトリックのスタイルでミサを行なっている。昨年も12月17日に大村入国管理センター内でカトリック・プロテスタント合同クリスマス礼拝が行われた。そこにはピアノやオルガンもなく、キャンドルやリースもない。ただ椅子が並べられてあるだけである。しかし、そこが私たちの教会なのである。教会は建物ではなく、主の御名によって集まる人たちが教会なのだ。この教会の名前を、大村アンテオケ・キリスト教会と名付けた。ここには宗教法人も所属団体もない。天の御国で宗派の壁がないように、主イエス・キリストを信じる者同士が手を取り、心を一つにしてただ主をほめたたえているのである。(レポート IPHC 長崎インターナショナル教会 柚之原寛史)


カトリック新聞(2015年11月15日 日曜日)
難民移住移動者委員会「全国研修会in佐世保」
入管収容者を訪問』 人権侵害から守るため
日本カトリック難民移住移動者委員会(委員長・松浦悟郎司教)は「全国研修会in佐世保」を10月20日から22日まで、長崎県佐世保市の三浦町教会(主任・中村倫明神父)で開催した。テーマは「一つの船に乗ってゆく」。造船と軍港の町として知られ、多くの外国人が居住する佐世保市に全国から約60名が集まり、すべての人の人権が守られる社会づくりについて共に考えた。2回に分けて紹介する。
日本には、超過滞在等で退去強制令書が出された外国人を収容する入国管理センターが東西に1か所ずつある。東日本入国管理センター(茨城県牛久市)と大村入国管理センター(長崎県大村市)である。初日の講師を務めた柚之原寛史(ゆのはらひろし)牧師(長崎インターナショナル教会)は、大村入管センターの訪問を続けて10年になる。1人1人の収容者と面談し、心のケアと、人権侵害から守る地道な活動を行っている。依頼を受けて、柚之原牧師が大村入管センターを初めて訪問、中国人女性と面談したことが活動の始まりだった。結婚詐欺集団に騙されたその女性は、夫となった日本人男性を信じて来日したが、日本での生活は”地獄”だった。子供を連れて家出をするが、所持金もなく、飲み物を盗んだことで逮捕され、入管に収容された。精神疾患を発症するほど深い心の傷を負ったこの女性に、「盗み」を事由に退去強制令書が出されていた。柚之原牧師は、彼女が結婚詐欺によって侵害された人権を取り戻すために、アジア女性センター(福岡)等の助言を受け、、支援を開始。その結果、訴訟により@退去強制令の取り消しA定住者の在留資格の取得、そしてB親権の獲得ーが実現したという。入管センターには、難民もいる。日本では空港で入国前に難民の申し出をしても認められず、即刻、入管センターに収容され、退去強制令書が出されるケースが少なくない。「行き場を失った人と出会うことで、隣人愛が生まれ、同じ志をもった人々が宗教・宗派等の違いを超えてつながっていきます。神様は、収容者を通じて”新しいこと”を始めるためのメッセージを告げている気がします。苦しんでいる一人一人のために自分でできることを行なうだけです。」(柚之原牧師)
『人間の尊厳を守る』
入管に収容されている外国人は、名前も収容事由も公開されていない。そのため、たとえ入管施設で人権侵害を受けていたとしても、外部に知られることはなく、支援の手が届かない。そうしたことから、教会等の入管面会ボランティアが、訪問・面談を行うことで、”密室”に風穴を開けていくことが重要になってくる。


朝日新聞(2016年6月20日 月曜日夕刊) 朝日新聞東京本社/朝日新聞西部本社 同日掲載
『入管収容外国人に寄り添う』
入管施設に収容されている外国人に面会し、相談のこたえるボランティアたちが全国各地にいる。主婦や喫茶店の店主、牧師ら、その背景は様々だ。それぞれ独自に活動しているが、面会を通じ、「収容施設では、日本の人権感覚が国際社会から問われる」という共通の問題意識を持つ。各地の面会ボランティアを訪ねた。
祈りも支援 心に安らぎ
大村入獄管理センター(長崎県大村市)では、ボランティアの牧師が、全国でも珍しい礼拝を2009年から行っている。イスラム教徒や仏教徒など十数カ国の収容者がともに祈りをささげる。大村市の牧師、柚之原寛史さん(48)は05年に面会活動を始めた。柚之原さんは「礼拝したくてもできない収容者の神を求める渇いた心を少しでも満たせれば」と語る。
3月、入管と礼拝者全員の同意を得て、朝日新聞はメディアとして初めて礼拝の様子を撮影した。イースター(復活祭」が近かったこの日はカトリックのコース・マルセル神父も参加した。日本語と英語、スペイン語で説教を行い、全員と握手を交わした。