真津山カップ

4/29 は真津山カップだった。
参加チームはオオハタさん、宇佐・北部イーグルスさん、駅川さん、スクラムさん、ブラデさん、長崎 7 チームでした。
予選ではブラデさんと西彼さんにコテンパンにやられましたが、後は何とか形になってきたかなと、少し成長を感じました。特にトーナメントではブラデさんと再戦だったのですが、予選よりもかなり内野が残れたので本当に手応えを感じました。今回は人数がまだ揃っていない事あり、オオハタさんから助っ人 4 名 + 3 名を入れて頂きました。
本当に選手に取っては日々勉強、コーチ陣もそうです。
トーナメントのブラデ戦レベルをコンスタントに出せるように頑張らせます。

旭カップ

今日は旭カップが行われた。
昨年度から比べると戦力が大幅にダウンした旭なので、今の戦力で何処迄闘えるかが今回のポイントだった。
結果からすると今の戦力で 3 勝も出来た。トーナメントは初戦で負けたけど、順位決定戦は 2 試合とも勝利で終わる事が出来た。選手にとっては、頑張れば勝つ事が出来るんだという喜びを味合えたと思う。
ベンチの当方は 1 勝するとつい欲が出て、勘違いして選手に厳しすぎる要求をしてしまった。大いに反省すべき点である。基本的には来年のチーム。今年 1 年は 2 年生も含めて来年に備えた闘い方を覚えていく時期なので、とにかく選手が楽しくやれるように、自分もスタイルを変えて行かなければならない。

第 9 期の卒団式

昨日第 9 期の卒団式が開催された。
先ずは通常通りのアップ。一人怪我で練習には参加出来なかったが、今まで見慣れた顔ぶれだ。
基本運動、キャッチボールまで一緒に行い、パス練習からは新フェニックスで汗を流した。
体育館に聞き慣れた 9 期部員の声が響き渡る。
練習を 1 時間半程実施して、いよいよお別れドッジだ。
先ずは部員を半分に分けてのガチンコ勝負。いままで共に闘った仲間と思いをボールにこめて一進一退の攻防が続く。
数試合行って、次は卒部する選手の保護者(お母さん)と新フェニックスとの勝負。
但し公式球は危ないので、代表が準備してくれたビーチバレー用のボールで試合。
お母さんたちのドタバタドッジに体育館は多いに盛り上がった。
お母さんたちが休憩している間に、またチーム再編成を行い、選手通しのガチンコ勝負。
お母さんたちが充分休憩した後に、卒部選手との勝負。またまたドタバタドッジで、保護者はこてんぱんにやられました。
新フェニックス対卒部選手フェニックスのガチンコも行いましたが、新フェニックスが勝てるはずも無く、惨敗でした。
伊達に全国大会ベスト 8 を 2 回も経験している訳ではない力を見せてくれました。
最後にもう一度お母さんと卒部選手でドッジをして終わりました。
お別れドッジ終了後、時間をおいて卒団式が行われました。
残念ながら監督が仕事の都合で参加出来ませんでした。
卒団式ではコーチとして卒団生に一言お話しするのですが、昨年は涙が溢れてしまったのですが、ことしは涙が出ませんでした。ドッジに関わりだしてから初めて一緒に過ごしてきた学年だったので、思いは沢山あるのに、不思議と涙が出ませんでした。卒団式の前日はきっと泣くだろうなって思っていたのですが、全国大会で選手共々力を出し尽くしたから、淋しさもありましたが、それ以上に満足感が大きかったからだと思います。
笑顔で見送る事が出来て良かったです。
さあ、今日から新フェニッックスというよりグリップスですが、新たなスタートを切ります。
少なくとも芽を出すのは来年かな~ (x . x)
焦らず地道に、また一から選手共々成長していこうと思います。
第 9 期卒団生、本当にいままでありがとう。
君たちとドッジが出来て幸せだったよ。

全国大会

3/27 に大阪で全国大会が開かれました。
震災の復興が滞っている中での開催だったし、関東ブロックが不参加とう状況もあり複雑な思いでした。
予選の試合展開は「旭が丘DBC」でも記載されていた通り、予選を 1 勝 1 敗 1 分けで終了し、ブロック 3 位でした。
ブロッック 2 位までが予選通過で、さらに予選不通過チーム全体のなかから上位成績 2 チームがトーナメント進出出来るシステムでした。
この時は監督、コーチ陣、選手、保護者、全ての旭関係者が予選落ちの結果に悔し涙を流していました。
せめてトーナメントに上がりたかったという思いで。
ただ、長崎県ドッジボール協会の i 様だけは諦めておられませんでした。僅かな可能性を信じて、集計に右往左往して頂きました。その中で僅かな光が見えていたのです。但し、正確な結果がでるまで待ちましょうと、逸る気持ちを抑えて集計結果のアナウンスを待ちました。
ワイルドカード 2 は..... 「旭フェニックス!」
旭の応援席は大歓喜でした。涙を堪える事は出来ませんでした。
一度は失ったトーナメントでの試合。折角もらった機会だから大いに楽しもうと選手と気持ちを入れ直して望んだトーナメント 1 回戦は予選の動きとは全く別物で、九州大会を彷彿させてくれました。また大阪でもう 1 試合出来る事になりました。
2 回戦は相手には有利で旭に不利かなと思えるジャッジが多く見られ、残り 5 秒での相手アタックも当たっていなかったのですがアウトコールされてしまい同点となりました。最後はサドンで力尽きてしまい、本当に掴みかけていたメダルを奪われてしまいました。まあ、ジャッジは公平にしてもらっていると信じるしか無いし、人によっては右から左の攻撃はよく見えるが、左から右の攻撃は見辛いとか、どうしも癖はあるでしょうから、今回の結果は大不運だと受け止めるしか無いでしょう。
ですから、どんな審判が笛を吹いても微妙なジャッジに左右されないように試合を上手く運べるようにしなければならないとつくづく感じました。
今回の悔しい経験で、全国大会でも地方の練習試合でも審判の階級ほどジャッジの正確さに差は無いということがいやという程分かりましたから。
一度は予選落ちからベスト 8 まで試合をさせてもらえた事に感謝しましょう。子供たちは最後の試合で精一杯プレーしていましたから。
子供たちはこの悔しい経験を中学校で活かしてくれるでしょう。中学校での更なる活躍を期待して、本日の卒団式に望みます。
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